モン族とは

wikipediaで調べてみました。以下抜粋

ミャオ族の下位集団である「モン族 (Hmong)」とは異なります。

モン族 Mon MonVirgins.jpg 伝統的な衣装をまとった少女達 総人口 8,145,500 居住地域 ミャンマーの旗 ミャンマー 8,000,000 タイ王国の旗 タイ 114,500 言語 モン語 宗教 上座部仏教 関連する民族 クメール人、モン・クメール語派 モン族( – ぞく、Mon)とは東南アジアに住む民族の一つ。

古くから東南アジアに居住しており、ハリプンチャイ王国を建てたことで有名で、後にビルマのペグーに移り住んだのでペグー人とも言う。ラーマンあるいはタラインと呼ばれることもある。その後一部が中国の雲南から南下してきたタイ族やビルマ族などと混血した。現在800万人程度がモン族を自称している。

浅黒い肌にギョロリとした目、巻き舌音の多い言語、高床家屋、焼畑耕作、水牛供犠、精霊信仰、魔術、壺酒、精緻な竹藤細工、狩猟・罠、腰機織り、ゴング音楽などが、ラオス国内のモン・クメール民族に共通している[1]。

なお、中国国内に多く住むミャオ族(苗族)の支系で、自称をモン (Hmong) という民族集団とは全く別であり、混同に注意。

スワンナプーム王国[編集] 伝説では、紀元前300年ごろ現在のスパンブリー県周辺にスワンナプーム王国(英語版)を建国し、紀元前200年ごろにはアショーカ王の遣わした伝道者により上座部仏教を信仰し始めた。

しかし、モン族はそれ以前から海路による仏教との接触があったと主張する。4世紀ごろワット・プラパトムチェーディーが建設された。6世紀ごろから11世紀ごろまで東南アジアで繁栄したスワンナプーム王国は、モン文字(英語版)などを開発し先住の文明民族として東南アジアに君臨した。

古代モン語を話していたことが確実視されているが、モン族であったかどうかは確定していない。 ドヴァーラヴァティー王国[編集] ドヴァーラヴァティー王国(6世紀 – 11世紀)。 ハリプンチャイ王国[編集] 661年または750年頃、モン族は現在のタイ王国・ランプーンにハリプンチャイ王国(661年 – 1281年)を建てているが、伝説ではコレラが流行し、ランプーンの都をすてて南下した。

タトォン王国[編集] 南下したモン族は、タトォン(英語版)にタトォン王国(英語版)(9世紀 – 1057年)を建てた。 ペグー王朝[編集] 1287年、モン族はペグーにペグー王朝(1287年 – 1539年)を建てた。 再興ペグー王朝[編集] 17世紀には再興ペグー王朝(英語版)(1740年 – 1757年)を建てた。 1000年頃以来、雲南から新参のビルマ人・タイ人が流入したことによりペグー王朝は徐々に力を失い、1757年に遂に再興ペグー王朝は倒れた。 タイとビルマの国境地域[編集] その後大半のモン族は南下を続け、現在の居住地域であるタイとビルマの国境地域に到る。

ビルマに於いては、植民地時代、ビルマの王に反抗するため支配者側であるイギリスを支援した。 第二次世界大戦後イギリスがビルマ周辺地域の植民地から手を引くと、モン族独自の王国を復古させようとする傾向が現れている。現ミャンマー(=ビルマ)の軍事政権はこれを認めず、モン族はミャンマー連邦の構成民族の1つであるとして、連邦内の他の民族の復国運動同様に取り締まりを行っている。カレン族その他の民族と連携して独立闘争を行うも、現在は運動は沈静化している状況にある。なお、この間もモン族のタイ国境地域への南下は続いており、特に軍事政権初期にビルマ国内が内乱状態に陥った際、タイ北部に逃れたカレン族やシャン族同様、数多くの難民がタイ側へ脱出している。そのため、国境を挟んで生活しているが親戚関係にあるという例は、モン族その他の民族に多く見られる。 タイでは、同じ上座部仏教を信仰する平地民族であることから同化する傾向が激しく、タイ王国ではほとんどのモン族が同化した。

上述のようなビルマ難民であるモン族に対しては、タイ政府は比較的寛容である。冷戦期の東南アジアにおいて西側に属することを一貫して固持したタイ政府は、周辺諸国が共産主義化や鎖国化を進めるなかで、難民を多く受け入れている。内情をよく知る難民から情報を得るとともに、当時タイ政府も未知であったタイ辺境地域の防衛に当たらせることが目的であったといわれている。 1947年に、伝説によりモン族の建国記念日が作られた。モン太陰暦の11月の満月である。ただしこの建国記念日はタイ王国・サムットプラーカーン県のプラプラデーンのモン族の間では祝われない。 言語[編集] モン語はいわゆるモン・クメール語族に属し、モン文字(英語版)はブラーフミー文字系の独自の文字である。モン文字はクメール文字と並んでマレー半島や島嶼部を除く東南アジアの文字の形成に大きな役割を果たし、ビルマ文字、ラーンナー文字などの元になった。ラーンナー文字はシャン族のタイ・ルー族(英語版)に現在も使用されている。 脚注[編集] ^ 虫明悦生「モン(Mon)・クメール系民族」/ 菊池陽子・鈴木玲子・阿部健一編著『ラオスを知るための60章』明石書店 2010年 23ページ 参考文献[編集] 関連項目[編集]

モン族と呼ばれる民族は二つある。学術書では差別化のできる英語表記を後ろに添え区別する。 モン族 (Hmong):中国南部の貴州省や雲南省、タイ、ラオス、ベトナムなどの山岳地帯に住むミャオ族の支系のモン族 (Hmong)、及びアメリカへ移民したモン (Hmong) 系アメリカ人(英語版)を指す。 モン族 (Mon):オーストロアジア語族、モン・クメール語派の言語を話す。タイのランプーンに、ハリプンチャイ王国(11~13世紀)を建て、その後にタイ南部やミャンマーに移住した。